当店で用意がある書名リスト
 

1.『肉体のファンタジア』小池真理子著 

―― 唇に、声に、乳房に刻まれた官能の記憶。肉体のパーツに刻まれた官能の風景を辿るエッセイ集です。断片を紹介します。

「いまさら言うまでもないことだが、唇はヒトにしか備わっていない、外部に向かって唯一露出した、あるいは露出することを許された粘膜状の皮膚の一部である。同じ粘膜でも、肛門や陰部は隠蔽されている。露出することを許されないし、誰も好んで露出しようとは思わない。唇だけが常時、人の目にさらされ、太陽の光の下にあり、皮膚のようでいて皮膚ではない、独自のエロティシズムを醸しだしているのだ。」

 
 

2.『愛人学』なかにし礼著

―― 数多の女性遍歴で知られる作詞家・なかにし礼が、詩的キーワードで綴る、恋の奥義、愛の秘術。女を見つめる男の思い、女に惹かれる男の心情の吐露は、できれば女性には知られたくないところだが・・・。断片を以下に。

「僕は知っている。世の中には何の貴い秘密も持たずに、そのくせ極めて思わせぶりな眼のあることを――ボードレール。乳房、髪、尻、脚、手・・・と、女には男を魅了してやまないものが沢山あるが、男を狂わせるものはたったひとつしかない。それは、眼である。」

 
 

3.『飲食男女』〜おいしい女たち〜久世光彦著

―― 得がたい人が、今年黄泉の国に旅立った。昭和レトロな時代設定の中で、女が女として匂い立っている。この世代にしか表現できない豊潤なエロティシズムだ。食べもののある風景から立ちのぼる、遠い女たちの記憶。ひたむきで、淫らで、どこか切ない短編小説集。タイトルもいい。で、一部を紹介。

そして典子は、さっきより大きな声で「今晩あたしとしてください」と言った。背中に聞こえていた主人や客たちの声が、スッと止んだ。ぼくは典子が学園祭で「庭の千草」を独唱したのを思い出した。(中略)《豆腐弥左》でも、ぼくは典子のワンピースの下の腿や、スカートから覗いた膨ら脛をそういう目で見ていたはずだ。その上、女の子から「して下さい」と言われて、どうしてその気になれないのだろう。

 
 

4.『快楽道入門』ドクトル中島著

―― 中国仙道を中心とした東洋医学を取り入れたセックス術の指南書。この手の指南書では傑出していると私は見た。女性の快楽のツボを、昇天域、極楽域、観音域、邪淫域、恍惚域、愛欲域、幻覚域に分け、各々挿絵つきで解説。女性と一緒に快楽への道を探求する書としては、これを置いて他にはない。その一部を以下に。

《昇天域への快楽術》――正常位の体勢で乳房を触りながら体の下に手を入れて、お尻の割れ目付近をなぞってやる。女は身体がフワリと軽くなったあと、電流のような性感にしびれる。
「正常位での愛撫というと、乳房や顔など目に見える部分を連想する人が多いだろうが、実は身体の下になっているお尻の部分にも昇天域の刺激ポイントがある。(中略)これらのツボは、仙骨の部分、お尻が盛り上がり始めてから割れ目にいたる間に、上から順に並んでおり、左右二つずつ、計8ケあるところから、(中略・挿絵参照)ここをやさしく押しながら正常位の姿勢で体動を続ければ女性の下半身は軽くなり、知らないうちに大きく足を開いて、男性にもっとして、と思い始めるに違いない。こうやってお尻の割れめ付近をなで、彼女が上気してきたら、体をぴたりと密着させて、一体となっている感動を女性にじっくり味合わせてやるのもいいだろう」

   
 

5.『いろの辞典』小松計文編著(数奇屋亭ロ忠)

―― 東京教育大学理学部卒の編者は、性愛に関するup to dateな言葉から、明治以前の隠語、猥褻語、地口、俗謡などにも関心が高い。「いろ」にまつわる古今東西の言葉を辞書として編纂した労作。全941ページ。どこを開いても為になる、参考になる。性愛愛好家、色好み諸氏のための座右の書。

 
 

6.『詩を読む人のために』三好達治著

―― 詩を読み詩を愛する人はすでに詩人である。と、詩人の三好達治は言う。詩を読む感動がそのまま伝わってくる一冊。取り上げられた詩の中から、秋にふさわしい一篇を紹介する。

落 葉
山路を歩いてゆくと
今落ちたばかりの
黄色い朴(ほう)の葉が五六枚
支那沓(くつ)のように反りかえって
道に散乱していた
ああこの艶やかな色の目覚しさ
まるで誰か貴い人達が
沓(くつ)をぬぎ捨てて
素足で去った
夢のシインのあとのような静けさ

   
 

7.『音楽巡礼』五味康祐著

―― 音楽の専門家ではないが、音楽の良し悪しはわかると言い切る五味康祐。作家以前の極貧の放浪時代、クラシック音楽が唯一の慰謝であった五味の女性との無遠慮なしかし純粋な逢瀬は、好きな音楽同様、魂の出会いであった。“その音楽と共に俺は生きる。それ以外に音楽の聴き方があるか”という氏の主張は、現代を生きる我々の胸をも打つ。五味がクラシック音楽と真剣勝負している姿は、さほど音楽趣味のない人にも感銘を与えずにはいない。その断片を次に紹介する。

「倫理観の欠如した人間には所詮断片しか美は作れない。倫理を持たぬ男に人の心を打つものが作れようか。おしなべて倫理観のない音楽を私は退ける。そんなものは才能があれば事足りるのだ。才能なら私にだってある。私は音楽に倫理を聴きたい。そんな祈念の如き懐いで私は音楽を聴いている。私の聴きたいのは、いい音楽である。そしていい音楽とは倫理を貫いて来るものだ。こちらの胸まで。シューマンにはそれがない。神を持たぬシューマンには死がない。処女作に向かって人は成熟すると言う言葉はシューマンには当たらない。」

   
 

8.『考える人−オラクル西洋哲学史−』池田晶子著

―― 西洋哲学史と言っても哲学の入門書ではない。そもそも哲学の入門が必要な人は、哲学が必要な人ではない。どこかの哲学学者が表わす無内容で的外れな哲学入門書なんぞは、こそこそと逃げ出してしまいそうな一冊である。颯爽と哲学する美形女史の口伝(オラクル)。考えるとは何か、問うとはどういうことかを。著者は晦渋難解な言葉は使わない。しかし、歯ごたえは十分にある。ココロシテカカレ! あとがきの一部を紹介しておきます。

「口伝」は正確には「オーラル」であり、「オラクル」とは本当は「神託」の意であります。しかし、いかんせん、きょうび「オーラル」はある種の想像を誘いがちであり、ならラテン語ではと調べてみたら、なんとこれが、「オラチオ」。さすがにこれは。が、ハイデッガーのところで触れたように、本来的に、考える「理性(=ラチオ)」と話し告げる「神託(=オラクル)」とは、共に等しく玄妙なる「ロゴス」を指示するのであり、われわれ人間とは、あれら「考え」が自身を語り示すための口という存在に他ならないのです。不肖、哲学の巫女としては、あながち僭越すぎる仕儀でもあるまいと、思い切って「オラクル」と振りました。

 
 

2006 東急沿線の従順な人妻たち All Rights Reseved